10月26日 朝日新聞 耕論 「原発と自治体とカネ」 [雑記]

福島原発の事故が収束しないまま今年も終りが近づいている。

第一原発はカバーで覆われ、放射能の放出はかなり抑えられるようになったと報道されている。つまり、それまではかなりの量の放射能が持続的に放出されていたということだろう。

今日、朝日新聞の耕論のコーナーのテーマは「原発と自治体とカネ」というテーマで三人の地方自治体の首長のインタビューを載せている。

結論から言うと、同じ日本人とは言え随分価値観の違いがあるものだと考えさせられた。そして命とカネ、どっちが重いのだろうと、もう一度自分に問いかけて考える一日となった。

三人の首長は茨城県東海村村長の村上達也村長と静岡県牧之原市の西原茂樹市長、そして福井県敦賀市、河瀬一治市長だ。

東海村村長と牧之原市長は原発を廃炉、もしくは停止を訴えている。東海村はその名から分かると思うが東海村第二原発がある。そして牧之原は管直人前総理が停止を決定した浜岡原発がある。

そして福井県敦賀市長は今後も原発を維持し、増設もしたいと述べている。さすが、日本で1番原発が多い原発銀座と言われている地域らしい意見だ。

私を含め、私の周りでも、一部東電関係の友人を除きほとんどが原発に反対をしている。もちろんいますぐ停止しろなどと誰も言っていない。段階を経て縮小していこうと言っている。

原発賛成の人がいないとは思ってはいない。むしろ原発賛成の人間は想像以上に多いだろうとは思っていたが、敦賀市ではほとんどが賛成だと言うのだ。これには少々驚いた。

敦賀市長曰く、福島の事故が起こった後、原発が必要ないという意見は市民から聞いたことがないとコメントしている。さらに「我々は一定のリスクを背負った分、経済的なメリットを受けるという選択をしています」と、つまり自分たちは押し付けられているのではなく自ら選択していると言っている。だからこそ、今後も続けていきたいと言うわけだ。

確かに、市長が言うとおり、リスクを理解した上で、市民自らそれを選択しているのであれば、福島の事故が起こったからと言って反原発とはならないだろう。フクシマのようなリスクを覚悟の上でそれと引き換えに経済的メリットを最大限受けているわけだから。

なるほど放射能まみれになろうとも、市民が被ばくしようとも、お金をもらえるなら、そっちを選ぶというわけだ。理解できない話ではない。原発を停止して、その結果職がなくなり、代わりに働くところがなければ、原発事故が起きる起きないに関係なく、食えなくなるわけだから、それなら、今仕事がもらえる、お金がもらえるなら、そっちを選ぶというは理解できないことはない。

しかし、これが敦賀市だけで完結する話なら問題はないだろう。実際には、一度原発事故がおこれば、話は敦賀市だけの問題ではすまない。福井県どころか近県、いやもっと広範囲なエリアにおいて、大きな影響を及ぼすことになる。したがって、もし、日本国民が脱原発を支持したらとしたら、やがて、敦賀市から原発産業は消えていくことになるだろう。例え敦賀市民が望んだとしてもだ。もちろん日本が原発推進の道を進めば、その心配はない。

東海村村長と牧之原市長は原発から独立し、原発に依存しなくても、成立する自治体を作りたいと考えを述べている。牧之原市長はフクシマの事故から、原発が必ずしもお金につながるわけではないことを知った。静岡トップの企業、スズキがフクシマの事故後、浜岡原発で事故があったとき工場が稼動できなくなることを恐れ、工場の半分くらいを別の場所に移転したいと発言したからだ。大電力を必要とする企業ですら原発はリスクなのだと気づいたと言う。

東海村村長は原発を一炊の夢と言う。彼は原子力発電所を廃炉にした後、東海村を「原子力センター構想」を中心に原子力の研究及び人材を育成する場として村の産業を興そうとしている。これは原発を推進するためのものではない。廃炉にしても、この世のから原子力発電所がなくなっても、放射性廃棄物の処理、原発事故による汚染など、原子力の専門家が必要な状況は続く、そこで、日本最初に原子力の火がともった原子力の村である東海村に蓄積してるノウハウをこうしたことに利用して、原発マネー漬けになった村から脱却を考えている。村長曰く、麻薬のような原発マネーに中毒になり、誘致して得たお金がなくなると、また誘致しろというのは尋常な姿とはいえない。持続可能な地域経済を作ることこそが健全だとコメントしている。

極めて対照的な意見に分かれた。

報道によると、東京でも個人でガイガーカウンターを持つ人が増えているそうだ。docomoなどはスマートフォンにつなげることができる線量計を開発していると言う。福島原発周辺の学校に通う子どもたちの一部は線量計をつけて生活している。

子どものころ、宇宙戦艦ヤマトをよく見たが、まさかそれに近い状況になるとは思ってもいなかった。慣れてしまえばいいのかもしれない。そのうち当たり前にように天気予報とともに今日の放射能とか言って、日々の放射能量が発表されるようになるのかもしれない。

でも、線量計を持ちながら生活したらり、食べ物の放射能汚染を気にしながらでなきゃ生活できないような状況が正常だとは思えないし、どんなにお金をもらっても幸せだとは思えない。

これからもし、福島で幼い子どもたちが癌で苦しむようなことになれば、それが正常だと誰が言えるのだろう。

何故、原発に頼らない地域経済を作ろうとしないのだろうか。もし原発縮小へ日本が舵を切ったら、麻薬(原発マネー)はもらえなくなる。そうなったら禁断症状を起こして、苦しんで死んでいくのだろうか?それでも原発マネーが必要なのだろうか。もし自分の市で原発事故が起き、自分の子どもたちが被ばくして癌になり、苦しんでいたとしても、我々はリスクと引き換えにお金をもらったんだから、これは仕方ないと、その子に胸を張って説明できるのだろうか。

本当にそこまで覚悟ができてる人っているのだろうか。うーん分からん。

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